料亭「澤田屋」は、旧名称「山形屋」という。創業者の山形喜六は、山形銀蔵という名の役者の末裔であり、明治維新前より山形家の戸主であったが、明治初年度に他界。その後、喜六の妻であるナカが、旧姓澤田といったことから、喜六の没後山形屋を改め「澤田屋」となった。また、ナカは、生姜町の三畳敷で財を成したことを記念して、澤田屋に「三上亭」という屋号を付した。後に「三上亭さんじょうてい」の屋号は、ナカの妹であるサトに譲り、現在の赤坂歯科医院の地に新たに「三上亭」を開設するに至った。
 澤田屋はその後、飲食店街としての八幡町を代表する料亭として、また八幡芸妓の稽古場や発表の場として、明治・大正・昭和・平成と四つの時代にわたって幡街ばんがい文化を広く発信し、隆盛を極めた。現在は料亭としての営業を行っていないが、同じ場所に建てられたビルの「さわだやビル」という名称に、当時の面影を残している。

由緒板について


 盛岡・八幡町の建物・歴史について説明する「由緒板」。地域活性化を目的としたもので、八幡かいわいの歴史について盛岡弁を交えて解説しています。

八幡町について


 盛岡八幡宮の門前町として町割されたことに由来し、「八幡町」となりました。現在は盛岡秋祭りの山車が練り歩き、ぽんぽこ市も開催され、賑わっています。