第30代南部家当主 南部行信なんぶゆきのぶ公は、延宝8年(1680年)の盛岡八幡宮社殿完成に合わせ、社殿前の水田を埋め立てて参道を造り、八幡町と名付け町屋を建てさせた。八幡町開町にあたり、水田をつぶすことに勘定奉行から反対の声が上がったが、行信公は八幡町の振興策として定期市の開場を定めた(毎月1日、3日、8日、11日、13日、16日)。翌年の延宝9年(1681年)には市日を拡充(毎月1日~16日まで1日置きに開場)するとともに、他の町の市を禁止とした。これにより、八幡町は次第に茶屋・飲食店を中心とした歓楽街となり、繁栄していった。八幡町通の道路整備完了を契機に、平成24年(2012年)より開催の「八幡ぽんぽこ市」は、八幡町がいちにより繁栄した歴史を踏まえ、賑わいと活気に溢れる街の創造を目指して、継続開催している。

由緒板について


 盛岡・八幡町の建物・歴史について説明する「由緒板」。地域活性化を目的としたもので、八幡かいわいの歴史について盛岡弁を交えて解説しています。

八幡町について


 盛岡八幡宮の門前町として町割されたことに由来し、「八幡町」となりました。現在は盛岡秋祭りの山車が練り歩き、ぽんぽこ市も開催され、賑わっています。