杜陵館は明治18年に開設され、昭和2年に県公会堂ができるまでは、明治から大正にかけて盛岡市で唯一の公共施設であり、各種の集会や寄席が行われていた。明治時代には、当時盛岡中学の学生であった石川啄木等の校内刷新のためのストライキ大会や、原敬による政友会の演説会が行われた場所で、当時の政治や文化の中心的な施設であった。八幡通りから杜陵館へと通じる横丁が杜陵館横丁である。

由緒板について


 盛岡・八幡町の建物・歴史について説明する「由緒板」。地域活性化を目的としたもので、八幡かいわいの歴史について盛岡弁を交えて解説しています。

八幡町について


 盛岡八幡宮の門前町として町割されたことに由来し、「八幡町」となりました。現在は盛岡秋祭りの山車が練り歩き、ぽんぽこ市も開催され、賑わっています。