盛岡市消防団第四分団「八幡町い組」は、延宝9年(1681年)に八幡町の警護を命じられ結成されたのがはじまりである。開設当初は「は組」と名乗ったが、文化初頭(1800年頃)に仙北町の江戸火消「い組」罌粟枡けしますまといと、八幡町の「は組」源氏車纏げんじぐるままといとを交換し、以後仙北町は「は組」、八幡町は「い組」となった。「い組」の罌粟枡印は「何時でも消します」の洒落しゃれで、江戸南町奉行大岡越前守みなみまちぶぎょうおおおかえちぜんのかみが命名したと言われる。
 八幡町旧番屋は明治14年(1881年)竣工で、和洋折衷様式では国内唯一の望楼付き番屋であった。「い組」の拠点として地域を守り続けてきた番屋も老朽化が進み、平成15年(2003年)には、現在の八幡地区コミュニティ消防センターへと姿を変えたが、建物の屋根には、罌粟枡印を擁した望楼を冠し、街のランドマークとして八幡界隈を見守っている。

由緒板について


 盛岡・八幡町の建物・歴史について説明する「由緒板」。地域活性化を目的としたもので、八幡かいわいの歴史について盛岡弁を交えて解説しています。

八幡町について


 盛岡八幡宮の門前町として町割されたことに由来し、「八幡町」となりました。現在は盛岡秋祭りの山車が練り歩き、ぽんぽこ市も開催され、賑わっています。