八幡町は「お八幡さん」の門前町であり、八幡宮の社殿造営(延宝8年/1680年)に伴い、社前の水田を埋め立て参道が造られ八幡町が誕生した。藩政時代から栄え、明治以降は花柳界として繁盛した。幡街ばんがいと呼ばれ、多くの茶屋や幡街芸者を有し、番屋を中心として活気あふれる街であった。温泉横丁、いろは横丁、せき横丁、帰命寺きみょうじ横丁、井戸横丁、杜陵館とりょうかん横丁と数多くの横丁を有するのも、当時の繁栄ぶりを物語っている。
 明治17年の盛岡河南地区大火に被災するも、その後の復興を重ね、平成の八幡宮の新社殿、旧生姜町しょうがちょう(南大通り)からの新しい八幡通りの開通と、新しい中にも情緒、風情が残る街である。

由緒板について


 盛岡・八幡町の建物・歴史について説明する「由緒板」。地域活性化を目的としたもので、八幡かいわいの歴史について盛岡弁を交えて解説しています。

八幡町について


 盛岡八幡宮の門前町として町割されたことに由来し、「八幡町」となりました。現在は盛岡秋祭りの山車が練り歩き、ぽんぽこ市も開催され、賑わっています。